アナウンサー
新着ブログ
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04.23 Wed
岩瀬 弘行
桜満開!
盛岡周辺はまだ桜の見ごろが続いています。街もパッと明るくなった感じですね。 桜の名所もいろいろありますが私は学校の校庭を囲む桜が大好きです。 先日、息子がやっている野球のスポーツ少年団の練習に参加。 咲き誇る桜も子供たちに「がんばれ!」と応援しているようでした。 チームも大会が近づいています。 みんなもグラウンドで満開の花を咲かせてほしいと思います。
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04.12 Sat
蔦 京平
「終わり」無くして「始め」なし
北国の 梅あたためる 通勤路 「春が来た」とはあまりにありきたりな表現ですが、花のほころびを見ると「冬が去った」と言うよりもこちらの方がピッタリに感じます。 時は4月12日午後2時。盛岡の「桜の開花発表」はまだです。あと少し。 我が家の桜(詳しくは2月7日のブログをご覧ください)もまだです。こちらは全然まだ。 つぼみにほんのり赤みが差しました。 冬が去って春が来る。夏が盛んになって、秋が深まって、冬が降りる。 何かの「終わり」とは、別のことの「始まり」。逆もまた然りですね。
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04.10 Thu
江口 アミ
記憶をつなぐサクラ
陸前高田市の中心市街地からほど近い浄土寺では、4月8日(火)に早咲きのカワヅザクラが満開を迎え、プラス1の中継でお伝えしました。淡い紅色の花が、枝がたわむほどに咲きこぼれ、桜色の雲が夜空に浮かんでいるようでした。震災の津波に耐えしのんだ寺の鐘楼門と合わせてみると、厳かな雰囲気です。NPO法人桜ライン311の岡本翔馬代表理事と鐘楼門の柱には津波の跡が残っていました このサクラは、東日本大震災の津波が到達した市内の地点およそ170キロをサクラの木で結び、また津波が来たらサクラよりももっと高いところに逃げてというメッセージを伝えようという取り組み「桜ライン311」で植えられたものです。現在2370本が植樹されましたが、最初に植えたのが浄土寺のサクラなんです。 米崎町でも満開でした。海抜20メートルのこの場所まで津波が押し寄せました テレビ岩手の社員は毎年ボランティアで植樹していて、私も震災の翌年に参加しました。当時見た街には被害の爪痕が色濃く残っていて、津波の恐ろしさを肌で感じましたが、いまは新しい街ができ、震災を知らない世代が増え、記憶の風化が進んでいます。そんな中で震災の記憶と教訓を伝える「桜ライン311」のサクラの存在は、今後さらに大きいものになっていくと感じました。何百年先の春も咲き続けることを願っています。2011年11月の植樹会2025年4月8日浄土寺の満開のカワヅザクラ 桜ラインには、エドヒガンやベニシダレなども植えられています。これから順番に見ごろを迎えるそうなので、見に行ってみてはいかがでしょうか。
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04.04 Fri
森田 雄人
5年間ありがとうございました!
先月いっぱいですべての番組出演が終了しました。 4月1日にいつものように朝目覚めると「あ、もうテレビ岩手には出ないんだな」と寂しい気持ちになりました。(エイプリルフールではありません。本当の話です) 思い返せば、2020年にテレビ岩手に入社し、夢だったアナウンサーとしての生活がスタートしました。初鳴きの日(アナウンサーとしてのデビューのこと)はニュース原稿を読み始めると、フロア全体がシーンと静まり返り、テレビ岩手の皆さんが自分の声に耳を澄ませてじっと見守ってくださいました。今でもその瞬間は鮮明によみがえります。その日から5年。あっという間に過ぎていきましたが、自分の人生において最高の思い出ができました。 高校サッカーは入社1年目から放送に携わり、3年目からは県大会決勝と全国大会の実況を任せてもらいました。自分が野球少年だったころに甲子園に憧れたように、選手たちにとって選手権は幼いころからの夢舞台。一生の思い出になる放送にしたいと、大会期間以外のリーグ戦などにもお邪魔して、しつこいくらいたくさんのお話を選手から聞きました。自分の力不足で取材したすべてをお伝えすることができませんでしたが、大舞台で輝く選手たちの姿は「かっこ良い」以外の何者でもありませんでした。関わってくださった選手、スタッフの皆様、本当にありがとうございました。 テレビ岩手の看板番組「5きげんテレビ」。自分の年齢と番組放送年数が同じということで運命的なものを感じながら番組に携わってきました。5年間で岩手のたくさんの魅力を肌で感じ、結果的に県内33市町村すべて取材で回りました。去年の10月からは1年先輩で大学時代から知っている中島アナとMCを担当しました。出演最終日には117枚もの応援メッセージを視聴者の皆さんからいただき、感謝の気持ちでいっぱいです。いつどんなときでも、あたたかい岩手の皆さんが支えてくださったからこそ今の自分があると思いますし、岩手のアナウンサーになって本当に良かったと感じています。 改めて、5年間本当にありがとうございました。 素敵な仲間に出会えて、最高の環境でアナウンサーとして過ごすことができました。今後は新たな夢に向かって歩み始めます。この先、つらいことはきっとあると思いますが、そんなときは岩手のことを思い出してがんばろうと思います。またどこかでみなさんとお会いできる日を楽しみにしています! それでは、森田の第2のアナウンサー人生、プレイボール!