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放送内容

2021年03月27日放送

第72回 子どものメンタルヘルス

岩手医大附属病院は2019年、矢巾町移転の際、新たに児童精神科を開設。大学総合病院では国内初の専用病棟を新設し、子どもの体と心の症状を総合的に評価しての治療のほか、週に一度、沿岸地域をネット回線で結び、遠隔診療を行っている。震災から10年。そして、新型コロナウイルスの感染拡大で環境が様変わりする中、子どもたちの心の健康にどう向き合うべきか、病院の取り組みを紹介。

番組に登場した主な先生

岩手医大附属病院 児童精神科 診療科部長
いわてこどもケアセンター 副センター長 准教授
八木 淳子 医師

岩手医大附属病院 児童精神科 外来医長
山家 健仁 医師

子どものこころ病棟 病棟医長
吉岡 靖史 医師

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バックナンバー

第72回 子どものメンタルヘルス

第72回 子どものメンタルヘルス

2021年03月27日放送

第71回脳卒中

第71回脳卒中

2020年02月28日放送

第70回緩和ケア

第70回緩和ケア

2019年12月21日放送

第69回ロコモと認知症

第69回ロコモと認知症

2019年11月30日放送

第68回生活習慣と腎臓病

第68回生活習慣と腎臓病

2019年02月23日放送

岩手医療紀行 バックナンバー

episode9

2011年2月26日(土)放送

岩手医大の病院事務課。死後の角膜提供を申し出た登録者の台帳が保管されています。
岩手医大眼科学講座の今泉亀撤きてつ元教授。
「角膜移植」をめぐる法律がまだ整備されていなかった1949年、遺族の了解を得て国内初の移植を成功させました。
死体損壊罪に問われたものの、目の不自由な人に光を取り戻そうとしたその崇高な理念から無罪となった一件は、「盛岡事件」と呼ばれています。
これをきっかけに1958年、「角膜移植法」が成立しました。
岩手は日本の「角膜移植」発祥の地なのです

episode8

2011年1月29日(土)放送

岩手医大の記念誌に残る1枚のモノクロ写真。「外科第2講座」の2代目の教授を務めた金谷かなや春之元教授です。
1963年、急性期における脳卒中患者の「救急搬送」を学会で主張。当時の常識だった「絶対安静」を唱える東大側と大論争となりました。
それから12年後、東京・築地の料亭で佐藤栄作元首相が「脳卒中」で倒れ、こん睡状態に・・・。すぐには病院に運ばれずにやがて還らぬ人となりました。
これをきっかけに、脳卒中患者の「救急搬送」が国内に普及。
本質を見抜く鋭い力は、日々の研讃から生まれたのです。

episode7

2010年12月25日(土)放送

盛岡市内丸の岩手医大附属病院歯科医療センター。岩手医大歯学部は、1965年、昭和40年、東北と北海道で初めての歯科医の育成機関として設置されました。
2001年には、世界で初めて病気やケガで失ってしまった「あごの骨」の再生治療に成功したと発表。
患者本人の血小板を使う事で、安全で確実、しかも短期間で治療が可能となりました。
命の営みを支える歯、そして口の健康。歯と口の健康は全身の健康につながります。
高い専門性が求められる歯科の領域はますます重要性を増しています。

episode6

2010年11月27日(土)放送

医療環境がまだ整っていなかった昭和初期、県内では、かけがえのない命を救おうと馬を使って無医村での診療が行われていました。
今から28年前、東北・北海道で初の本格的な施設として作られた岩手医大附属病院のNICU・新生児集中治療室。
赤ちゃんの死亡率が大幅に低下したのをはじめ、岩手の新生児医療の質の向上に大きく貢献してきました。
96年には、藤原哲郎教授が未熟児の薬の開発で世界的に評価され、アラブ世界のノーベル賞といわれるキングファイサル賞を受賞しています。

episode5

2010年10月30日(土)放送

奥州市水沢区の中心部にある水沢公園の一角。明治から昭和時代にかけて活躍した水沢出身の政治家の銅像が建っています。
そのスケールの大きさから「大風呂敷」といわれた後藤新平。福島の医学校を卒業後、医師として愛知の病院に勤務しました。
24歳の若さで病院長と医学校長に就任。
岐阜で暴漢に教われた板垣退助を手当てした事から政界入りしました。
その後、各大臣や東京市長などを歴任。
1928年、岩手医学専門学校で、「諸君は偉大なる田舎医者たれ」と講演をしました。
医師としての情熱を胸に近代日本を築いたのです。

episode4

2010年9月25日(土)放送

1876年、今の盛岡市に生まれた三田、旧姓、関定則さだのり。幼い頃から優秀で、29歳の時、「私立岩手病院」の創立者、三田俊次郎しゅんじろうの養子となりました。
旧東京帝大医科大学を卒業後、そのまま助手となり、のちに法医学講座を担当。
1914年、教授に就任すると同時に血清化学、現在の免疫学講座を創設しました。
退官後は台湾に渡り、台北帝大の総長として活躍。水沢出身の後藤新平、盛岡出身の新渡戸稲造らと台湾の近代化に貢献しました。
1942年、郷里に戻り、「岩手医学専門学校」の第2代校長に。
戦後の教育改革で、「岩手医科大学」に昇格させ、初代学長に就任しました。
大学への昇格に当たっては、三田定則の尽力があったといわれています。
岩手はもちろん、日本の医療に大きく貢献しました。

episode3

2010年8月28日(土)放送

盛岡市の中心部、官庁街に程近い岩手医大。大学の1号館にある創立者、三田俊次郎の胸像です。
岩手の医療の貧困を憂えた三田。1897年、明治30年、私財を投げ打って、この地に私立の岩手病院をつくりました。後の岩手医大です。
宮澤賢治は18歳の時、以前から悪かった鼻の手術でおよそ1か月、岩手病院に入りました。看護婦に初恋をしました。
創立から1世紀あまり。岩手の医療に賭けた三田の情熱は、現代に受け継がれています。

episode2

2010年7月31日(土)放送

北上川流域の肥沃な土地に恵まれた一関。江戸時代中期の一関藩の医師、建部清庵は、名医の誉れが高く、蘭学の発展に貢献しました。
相次ぐ飢饉で多くの死者が出た当時の東北地方。このことを憂いた清庵は、食用となる木を図解で分かりやすく著し、多くの民を救いました。
清庵の指導を受けたいまの一関市中里地区出身の大槻玄沢。三代に渡って大きな業績を残した「大槻三賢人」の初代、玄沢は、江戸で「解体新書」の改訂に取り組みました。
当時の貧しかった東北の現状が優れた医師を育て、こんにちにつながっているのです。

episode1

2010年6月26日(土)放送

今なお城下町の佇まいを残す奥州市水沢区。幕末の医者で蘭学者の高野長英(1804~1850)は、いまの奥州市に生まれました。
17歳で江戸、その後、長崎に赴き、シーボルトから「ドクトル」の称号を受けました。
しかし、鎖国政策を批判した事から幕府に追われ、47歳で捕らえられ、自害して生涯を閉じたと伝えられています。
優れた国際感覚も身に付けていた高野長英。日本の近代化に大きな影響を与えました。

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