今月のテーマトーク

今月のテーマトーク
01月のテーマは: 「あの頃私は輝いていた!」
毎日夕方の生放送でおでこがキラキラ輝いている私。
ほかに輝くことはほとんどありませんが、
長年続けている野球で一度だけ輝いたことがありました。

大学4年生の夏。同好会のリーグ戦で人生初の「ホームラン」を打ったのです。
ゆっくりベースを回ったのは後にも先にもその一打のみ。
一生忘れられない瞬間でした。

あれからおよそ20年。今も朝野球でプレーをしています。
何とかもう一度、ホームランを打ちたい!
密かに夢を抱く44歳です。
輝いていたなぁと思うのは、小学6年生の頃。
全校音楽発表会で、歌や呼びかけの導入となる、詩の朗読を任せてもらいました。
その後の歌や呼びかけにつながる詩を、聞いている人が情景を思い浮かべられるように朗読する。
先生と何度も何度も練習をして、当日を迎えた事を覚えています。
家族にも内緒で練習をしていたので、当時見に来た母は歌が終わる度にマイクの前に移動する私を見て、
「どういうこと!?」と驚いたそうです。

当時から「アナウンサーになりたい」と言っていた私に、担任の先生が作ってくださった「輝ける場所」でした。
子どもの頃のこういった経験のおかげで、アナウンサーになりたいという想いを持ち続けることができました。
先生方には本当に感謝しています!ありがとうございました!!
小学校4年生のころでしょうか。
仲の良いクラスメイト3人とSPEEDのコピーグループを結成していました。
自分と同世代の4人の女の子が、伸びやかな歌声と華麗なダンスパフォーマンスで
大ブームを巻き起こす姿に、憧れを抱いていたんです。

SPEEDが出演している音楽番組を録画したビデオテープを何度も見返しては、
見よう見まねでダンスを覚えました。
休み時間には、メンバー4人そろって、日ごろのダンス練習の成果を披露。
黒板を背景にした教室の一角は、自分たちにとってのステージ。
クラス中の視線を集め、「私たちはSPEED!」と、なりきっていました。

その時は、「自分が輝いている!」と信じて疑わなかったですが、
踊りがあまり上手ではなかったので、今思えばかなり恥ずかしいです。
学年が上がったのをきっかけに、自然にグループは解散、1年ほどの活動期間でした。
忘れもしない中学3年の冬、ミュージカルに挑戦したあの時、私は輝いていた!
3年間打ち込んだバスケットボールを中学3年の夏に引退したあと、さあ受験に向けて勉強を頑張るぞ!
…とはならず、演劇部の先生にスカウトされてミュージカルに打ち込むことに。
「ユタと不思議な仲間たち」の座敷童の親分・ペドロを演じました。

学校の文化祭と青森市の各中学校の演劇部が発表する「青森市中学校文化連盟演劇発表会」で披露するため、
今では考えられないことかもしれませんが、放課後、毎日夜の8時過ぎまで学校で猛特訓。
その練習の甲斐もあって発表は大成功。演じ終えた後の大きな拍手と、
暗闇の中、スポットライトが自分に当たる高揚感は今でも忘れられません。

ただ、11月の発表後も勉強に全く身が入らず、高校受験に失敗。
演劇部の先生と両親に迷惑をかけてしまったことが悔やまれます。
「ももいろクローバーZのライブ」での私は輝いています!
両手に持つのはペンライト!
それは、ただの光ではないのです。
自分の推しメンバーへの愛を伝える輝き!
ペンライトを手にステージを見つめる私は、ギンギラギンに輝いています〜
輝いていた時を強いて挙げるなら、大学受験の浪人時代です。
息抜きや友達作りもほとんどせず、本当に地味な予備校生でした。
成績が良くないのに努力をしなかった自分を毎日責めて、悔しくて、「何としても自分を変えたい」と、
一日中予備校の教室や地下の自習室で勉強ばかりしていました。

受験を控えた秋に受けた、文系3教科の模擬試験。
手ごたえはありましたが、成績優秀者として全国のランキングに名前が載ったのです。
そんなことは人生初めてで、陰々滅々としていた心に一筋、光が射したように感じました。

毎年、葉が散ったイチョウの木を見ると、
「あの時は毎日ひたむきに頑張っていたな〜と」感慨にふけることもしばしばです。
今でこそ暑いのも寒いのもあまり得意ではない完全なインドア派人間ですが、
小学生のころは雨の日以外は外に繰り出すアウトドア派だった私。
放課後は近くの野山をかけまわり、友だちと暗くなるまで泥だらけになって遊んでいました。

鬼ごっこ、かくれんぼ、秘密基地づくり・・。
時間も忘れて、遊ぶことに夢中だったあの頃!
服も靴も泥だらけで母は大変だったと思いますが、私の中では輝かしい思い出です!!
「World economy is....」 大学のゼミナールでの私は輝いていた!!
国際経済のゼミに所属したため、講義は全部英語で行われていました。
英語が大の苦手な私は授業についていかなくてはと、授業以外の時間にも留学生と交流するなど
積極的に英語に触れようと頑張っていました。

するとだんだんと英語の苦手意識が消え、国際問題に関するプレゼンテーションを英語でできるように♪
しかし!!!今年、中尊寺で海外からの観光客にインタビューをしたとき。
私の口から出た英語は、「Where are you from?」「How about this view?」の2つだけ…。
大学時代の私はどこへやら。単語を並べるのに精一杯。ショックでした。
輝きは磨き続けなければいけないと感じた瞬間です。
小学校高学年の頃は、いわゆる「ボーイソプラノ」で某合唱コンクールに出場。
中学の時は、気仙沼市の地区対抗リレーの優勝メンバーに♪
大学時代は、母校・明治大学のラグビーの試合に足しげく通い、
秩父宮ラグビー場や国立競技場で歓声をあげていました。
今は仕事以外だと、岩手県のきき酒選手権で、出場した年に限れば
3大会連続で優勝していますが、ここ2年は仕事の関係で出場できず……。
残念!
中学生の時の学習発表会の合唱で、自ら指揮者に立候補し、担当することになりました。
しかし、発表会まであと数日…という時に、肝心の右手の指を骨折!!
立候補した手前、辞退するわけにもいかず、ギブスをしながら本番に臨むことに。

不安もありましたが、緊張感?集中力?どちらからか分かりませんが、
痛みは全く感じず無事に役目を果たすことができました。

今思うと、未経験なことに積極的に挑戦し、
ハプニングが起きても諦めることなく役目を果たせたことに、あの頃の私は輝いていたなと感じます!
大人になっても純粋に何かをやり遂げる心はずっと持ち続けたいものです!
自分の人生を振り返って、輝いていたと思うことは一度もありませんが、
強いて挙げれば、1992年にテレビ岩手からヨーロッパに研修に行かせてもらい、
ロンドンを中心に約半年間滞在した期間でしょうか。
当時担当していたサッカーや競馬などのスポーツの取材をしながら、
イギリスの総選挙について「ズームイン!!朝!」に衛星生中継もしました。
その後のニュースキャスターの礎にもなった最も楽しく、貴重な経験を積んだ半年間でした。