アナウンサー プロフィール
 
平井 雅幸
誕生日 5月26日(双子座)
血液型 O型
出身地 神奈川県横浜市
出身大学 日本大学法学部大学院
好きな食べ物 岩手の魚・貝!時間がかかろうが、
三陸の海のものを待っています!!
今、わずかに動く漁船からの三陸の魚は、
とても嬉しく、震災前の漁家の皆様への
ありがたみを改めて感じています。
好きな食べ物、三陸の幸!
時間とともに、増えていく事に協力し、
信じ待っています。
主な担当 番組16年目の5きげんテレビ メインキャスターです!!
自己PR 皆さんもご存知の通り岩手は、広く、知らなかった情報も数多くあります。
我々の月~金の5きげんテレビをきっかけに、役立つ・楽しい情報を仕入れるだけでなく、
厳しい時代だからこそ、番組を活用して、岩手の良い部分を広め、活性化につながれば、
ジワリジワリですが、この素晴らしい岩手を全国に広める事にもなると思うのです。
現実に5きげんテレビで放送したものが、全国放送の調査対象となり、
全国で知名度を獲得する事が多いのです。
皆で手を合わせて、岩手を活性化し、守っていきましょう。
私も番組スッタフ一同も、毎日皆さんのメッセージに目を通し頑張ります!!
2012年3月3日で5きげんテレビは、丸15年になりました!
今だから話せる事!その①
岩手初の月~金:生放送の情報番組を始めるぞ!平井雅がメインキャスターで行くぞ!と言われたのが、
96年の‥確か‥11月。当時の専務にお昼ごはんを誘われ、ゴルフの話しかなと思っていたところ、
5きげんテレビのメインキャスターの伝達でした。その頃、私は、ジョガドールという子供スポーツ番組が
のってきており、スポーツの企画取材・実況も数多く担当していたので、スポーツ現場から離れるのが
嫌で、「ありがたい話ですが、バラエティしゃべりより、スポーツの世界に残りたい」と話しました。
「高校サッカーの実況だけ残し、5年は、情報番組を頑張って担当してくれ」と専務。
5年の3倍の「15年」が、皆さんのお陰で経過しました。当時は、フリートークの自信も全く無く、
金曜日が終わると、急いで花巻空港に向かい自費で大阪便に乗り、土曜日に吉本新喜劇や漫才を、
メモを片手に見て、勉強し帰ってくる事を何度か行いました。間合い・合いの手の大切さ、自分がお馬鹿になる、
厳しく突っ込む。勉強になる事が沢山ありました。「笑い」だけの世界に限らず、その他のジャンルにも
繋がる大切な部分もありました。今でも、出来ていない事が多く、難しい世界です。

今だから話せる事!その②
96年12月にスタッフが数名集められ、生放送に向けての取材や中継のアナウンサーを考えると、
スタジオで私の横にいる女性キャスターが足りない・・という話になり、
「それならば、4月に入社する磯水菜・平田純子を使おう!最初は、大変だが、雅!頑張れ!」と言われ、
そして迎えた97年3月3日!まだ、大学の卒業式を終えていない磯さんと平田さんをぶっつけ本番育成で、
放送を始めます。彼女達の方が、戸惑い苦労を掛けたなと感じます。その後、朗らかな笑顔と共に成長し、
今では、お二人とも、子育てに励むママとして、頑張っています。
今でも、番組のスタッフの一員であると思っています。
5きげんテレビ10周年スペシャルでは、日テレバイト時代にお世話になった徳光和夫さんに
「俺は、ズームイン朝を10年直前で交代し、NEWSプラス1に移った。
健康に注意しながら、長く長く愛される番組作りをしなさい」とありがたい言葉を頂きました。
そして、迎えた15年の年、震災があり、自分の力の無さを感じます。
沿岸の皆さんには、「雅さん今月も来てくれたね」等とも言っていただきますが、震災後、私の中には、
「もっと何か出来たのではないかという後悔と、何かこれからも出来るはず」があります。
沿岸に行き、問題提起や地区や人・店を応援するだけでなく、岩手の夕方を笑顔にする事も忘れず、
進んでいかなければと思っています。15年経っても、まだまだダメな部分が多いです。
20年目まで行けるか分かりませんが、皆さんと共に協力し、岩手を作り、盛り上げていきたいです。
よろしくお願い致します。
継続してのご協力を
震災後、沿岸の避難所を回りました。皆さんつらいのに、私のことを、話をする事ができる甥っ子の
ように、あたたかく迎えてくれました。怖かったこと・・家族を失ったこと・・これからが不安なこと…
手を握りながら沢山話してくれました。中には、「この浜の男性は、普段涙など見せないであろうな」という方も、
声を震わせながら、3月11日の状況を私に語ります・・。
津波の被害が、無かった地域は、沈まず活発に動き、経済的にも体力を回復し、沿岸に、営業所や支社を作り、
沿岸の方の働き場所を作っていかねばなりません。明るく活発に過ごさなければなりません。
ただ、津波被害の無かった地域の皆さん、あの3月の頃の「岩手の沿岸も助けなくては!!」の心は、
種になっても自分の中から捨てないで助けていただきたいです。毎日でなくても、今月、私は、沿岸に
何が出来るだろう。よしこれだけは、お手伝いや支援をしよう!という事を行っていただければ、
ありがたいです。ひとりの人間しか行動しなければ、1ヶ月の中で、たった1日の支援ですが、
たくさんの人が動いてくれれば、1ヶ月分の支援に膨らんでいきます。私も毎週のように沿岸に
行っていますが、あの頃よりは進んだと話す方もいますが、本質的な部分は、まだまだ進んでいません。
どうぞ、皆さんのご協力の継続をお願い致します。
全国の皆さんへ
ホームページをごらんいただき、ありがとうございます。岩手の夕方で唯一、月曜から金曜日に
地域情報番組をメインとして担当している平井雅幸と申します。
岩手県を回り、いろんな場面を見てきている私からのお願いです。
今回の震災の被害の大きさなどもあり、全国の皆さんからの義援金分配が、岩手の皆さんの
「再スタート」のタイミングに合わず、リズムを崩しているのが現状です。お店や暮らしの再開を
果たしたと言うような話しを聞くかもしれませんが、それは、被害を受けた皆さんが、先行きの
不安を感じながら、借金をし、再スタートしているのがほとんどです。その方々が、震災前の売り上げや
収入を得られれば、先へしっかりと進んでいくのですが、以前より減収というのが現状です。
自分に置き換えて考えていただくとわかりやすいのかもしれません。あたたかい布団と睡眠、
あたたかな心とご飯が極端に減り、例えば、来月の収入が入るのかどうか見えない時、
人は、積極的に動かなくなり、前へ向かう発想力が衰えると思うのです。
私が代わりに伝えさせていただくと、しっかりと前に向ける「まとまったお金」が必要なのです。
岩手の被害を受けた市町村が、復活していくためには、10年いや…住民の皆さんの事を考えると、
それよりも、何年も前倒しで、町を復活させたい。
今だけでなく、仮設住宅を出る2年~3年後に、新しい生活・新しい仕事にかかる「お金」が
必要となってきます。震災にあった時期だけでなく、これから10年、全国の皆さんの継続的・定期的な
義援金の援助をお願い致します。被災地に触れて感じる私からのお願いです。
復活を目指して!
野球のグランドがあり、時折野球がやれる、ありがたいことです。去年、国体岩手大会2日目には、
元気な陸前高田市のチームとも会いました。私が監督をするチームには、学生から先生・商店主まで、
参加してくれています。昨年度は、盛岡市でブロック優勝し、盛岡代表として、6月の岩手県大会に
進みました。昨年度は、どうしても、この国体盛岡優勝をしたかったので、途中無理をして、
左肩を脱臼しながらプレーを続け、未だにリハビリを続けています。国体は、ベスト16止まり、
次に進める試合を落としてしまいました。初日の策はピタリ!が‥2日目の私の采配に反省が残ります。
次に役立てたいです。ただ‥その後、治療途中で「右肩は大丈夫」と先生方のアドバイスを無視し、
野球や沿岸ボランティアなど、右肩を酷使していたら‥、今、右肩も亜脱臼になり、人生で初めてボールを
10m投げる事ができません。
これほど、投げる事ができないのが苦しいとは思いませんでした。
皆さん、体は、左右対称にできています。スポーツで故障した際は、ケガをしなかった部分も
気をつけてくださいね。
私はこの年でありながら、肩と足の速さが持ち味の選手でしたので、あきらめず治し続けます。
子供にも言われますが、家とは打って変わり、グランドでは、鬼に変わることもあります。
野球のグランドに入ると違うスイッチが入ります。グランドに一歩足を踏み入れたならば、あきらめず肩を治し、
太らないように、その他の部分を鍛えたいと思います。ウッシャーーー!!
 

私達のクラブは、過去いろいろな
盛岡市の大会で優勝して
いるのですが、
国体だけは、勝ち上がる事が
できなかっただけに、
肩を脱臼しながらも
戦った甲斐がありました。


父の日の即席デザインパン!!
休みの日は、家で髭をそらない私。
その髭で、時折息子を攻撃しますが、
不評です!!
それが、このパンにも出ています。


我が家の春に咲く、球根の一種、
ニラ草です。
葉は、食べる事はできませんが、
ごらんのような雨上がりのニラ草は、
瑞々しい清涼感に溢れています。